日本の求める多様性が実効性の欠けているウソという仮説

私は福祉に近い分野で働いていて、若い人と接する機会が多いです。今の教育は多様性を求めています。しかし多様性を求めている背景には、大人がそもそも問題解決を求めていない・しようと考えていないと言った見方もできます。無駄にリソースを割きたくない大人の本音が見受けられます。

 

 そういう意味で、言葉に振り回されて効果性や実効性の欠けている多様性を求めている日本人が多過ぎです。嫌いなもの・苦手なもの、問題がない・少ない方が良いに決まっていると多様性の前でなぜか強く言えないのが今の日本人です。単に「多様性」という言葉に振り回されているだけです。日本人の言う「多様性」が子供の夢のようなフワフワとした実効性の伴わないものでない形にしていきたいものですね。(要は実効性がある形にしたいということです)

 目標を達成するのも大事ですが、プロセスはとても大事だと考えます。

 

 最近は子供の野菜嫌いが目立つ気がします。そして子供の野菜嫌いなどは思考が偏り易くなるのではないか?という仮説があります。

 子供の野菜嫌いは大人になっても常に食事に嫌いな食材を取り除く行為が必要な訳で、嫌いな野菜の食材を取り除く行為が回数が多ければ多いほど、嫌いな食材を避けなければならないという意識や気持ちが強化されます。「この野菜嫌いだと言ったじゃん!」と主張すればするほど自分の考えに固執します。問題はこの繰り返し行為が思考の偏りを生むという仮説です。私ならアレルギー検査してキチンと食べせる位させたいです。アレルギーを理由にして「嫌いだと思う食材」を避ける子供は多いです。嫌がらせのように毎日食べさせるつもりはないですけどね。

 

多分野菜嫌いを克服しない日本人の考え方やスタンスが、今後は日本の右翼化が進むと思います。生理的に嫌いなものは嫌いだから受け付けない、考え方や精神構造が右翼と同じです。子供のような未熟さも双方に感じます。その時、この国が本当の多様性を求めていなかったことがバレるでしょうね。

 

 話を戻します。そしてこれは野菜嫌いだけは限らないです。子供が嫌いだと嫌がる行動は、実は小さい頃からしてこなかった、もしくは学ぶ機会や経験がなかったケースも多いです。だから彼らはコミニュケーションが苦手なのです。でも小さい頃からコミニュケーションを学ぶ機会・場所がなければ、いつまでもできない大人を増やすだけです。やろうと思えば教育で補えることでも、大人になっていつまでも逃げ回って他人に迷惑をかける大人を安易に増やし過ぎです。

 

 これは公園が危険だから子供同士でボール遊びをしては行けないとか、働かない大人が近く寄ってくるので危険だという理由で、親が見守らない時期の子供は昔より公園で遊ばせない風潮もあると思います。そもそも公園に行っても一部の遊具も禁止されている所もあると思います。近所の大人に積極的には声かけしないようにしてるところも影響しているのかもしれません。昔よりスマホや家庭ゲームで一人遊びしてる子供も多いと思います。少なくても家の中は安全ですから。

 

 問題は人と交流したりそれを補う場所が昔の子供に比べて今の子供たちには無いことです。少なくても団塊Jr世代よりもないです。

 役所は責任の所在を明確化して責任を持ちたくないので公園を使わせない形してますが、子供たちから奪うだけ奪っては与えない、つまり大人が子供を社会的に虐待しているようなものです。学校も同様な所あると思います。部分的には間違った判断では無いのは分かります。合成の誤謬であるのにも関わらずに誰も指摘しないのが今の日本なのです。日本が行き詰まっていることの多くは合成の誤謬で説明できる所も多いです。

 

 ですので、子供や若者が元気が無いのも当たり前です。子供自体からすると明らかに間違っています。彼らには分かっているのです。

 メンタルを患った若者が増えるのは、日本の子供の取り巻く社会環境が悪いからです。遺伝のせいにして日本人は問題から逃げ過ぎです。あくまでもビジネス的な利益を優先してマスコミが問題視していないことも多いと思われます。所詮は精神疾患にならないのは同じ環境で風邪になるとかの違いにすぎません。子供が精神疾患になり易い環境ではあることに違いないのです。大人が既に病んで快楽を求め過ぎですから。アメリカなどは大麻を合法化にしてビジネス上のライバルとの引き離しを狙っているでしょうが、社会問題は先送りしているに過ぎません。

 

 子供の精神疾患が増えているなら、解決方法は精神疾患にならない環境を与えるしかありません。精神薬は気休め程度の薬効効果があって当人に自殺リスクより利益があると考えるからです。間違ってはならないのは、精神薬は治療薬ではないです。お薬を出し続けるだけです。薬を減らした方が薬効効果があったエビデンスもありますから安易に頼らない方が良いでしょう。鬱なら電磁波を使った治療方法あります。これは高額ですが、保険適用もあるので調べて下さい。

 

 子供は大人しく大人の言うことに従うしかありません。日本の社会構造まで理解して子供が大人や社会を批判できる子供がたくさんいるとも思えません。だから自殺を仄めかす未成年が多いのです。大人が子供に精神薬を与えることを許して問題解決を放棄しているから、いつまでも問題が解決しないのです。

 

 日本の社会全体が最低でも大人から見た子供の視点が欠けてます。未婚者が増えて子供を持つ親が減少しているのも有るかもしせません。自分の子供が居なければ、それ以上何か自己犠牲を他人に与えようとする人は教育に関連する仕事に携わって無ければ難しいです。そもそも問題を抱えた学生が多過ぎて、その対応で学校関係者は忙しくて無理かもしれません。

 

 夜更かししない幼児の方が発達障害児が減るエビデンスがあります。そしたら幼児を夜遅くまで寝かせない事が多様性だと思っている親が多いのでしょうか?親の教育が未熟で今の親がしつけができなくなったのではなくて、親のストレス対処による親の考えや価値観の変化が生活習慣病のように自分たちの生活スタイルを見つめ直しができない親とその影響を受ける子供が増えたのではないかと考えます。

 

平たくいうと価値観の変化ではあるが、大人が刹那的に欲望を満たせるだけの選択肢が作りやすい現実もあります。つまり、しつけではなくて親の価値観に左右される生活を余儀なくされていて、大人になった時の子供の人生が脅かされているということです。

 

そして問題は、親すら自分の生活環境をコントロールできなくなって子供の人生に影響しているということです。これが親ガチャと言われる理由です。親の価値観が子供の人生に大きく影響する時代になり過ぎています。

 

 話を戻します。個人的には社会が安易に生活保護のシングルマザーに税金を増やすより、市役所のデジタル化を進めて医療や心理・福祉系の資格を持った人を中心に学校をサポートさせた方が良いです。もしくはそういった資格所有者を行政は今のうちから採用して配置転換できるようにしておくことが大事です。公務員全体から教育の質を上げる方針を取るしかないです。

 

 私が考えるにはシングルマザーに税金を使うのをやめさせるのではなくて、シングルマザーを増やさないのが大事と言うことです。これが大人が口を塞いでるのは、結婚しない独身の女性はストレス発散の為に男性の性の吐口にする目的があるからです。少子化若い女性が少ないなら結婚しない女性を増やして、結婚できない男性の性処理をさせる為です。社会が恋愛名目で放置して、男が若い女性を性の吐口化させる目的があるからです。だから日本の男女平等が進まないのは日本の偉い人間がそういう政策や施行しているからです。特に平成はそう言った価値観で動いてました。平成は援交が流行った時代ですよね?

 

 実は若い女性はシングルマザーになれば子供の人生を犠牲にすれば、生活保護者になってニートになれると日本の若い女性は分かっているのかも知れません。シングルマザーの子供の人生は選択肢が少なくて悲惨な人生ですが、その方が子供の人生を犠牲にして同情を得やすなり支援を受けやすく、シングルマザーには都合良いのです。これが片親だから子供の人生の悲惨さは誰もが目をつぶる理由です。

 だから若い人に貢ぐ人間を求めるのが流行っているのでしょう。パパ活なんて明治生まれの人間からすれば御法度でしょうね。シングルマザーの子供が事件を起こしてから対策するのは愚の極みです。

 

シングルマザーを安易に増やさないようにするには、若い人の結婚観や恋愛観にも口を出さすしかないのですが、これも学生時代に当人が学校の授業で議論させる位の取り組みが欲しいです。最終的には税負担の考え方にも影響しますので。

 

「子供は国の宝。」

これは人類とっては明確な事実です。子供を大事しない国に未来がないのは当たり前と言えるでしょう。

 

日本の社会全体が子供を虐待しているという仮説が自分の中で出たので、日本の大人全体が子供の取り巻く環境を改善することを提言します。

 

昭和の終わりに少子化が問題とされていたのに、今頃こども家庭庁を作る政治家と官僚ですので、国民は最初っから期待するなと言うことです。

 

 コメント百俵なんて言っていた政治家はウソだったということです。改革を叫んでいて何が改革されたのでしょか?民営化された会社の運営の仕方が変わっただけです。生活は特別変わりませんでした。

代わりに世間では生活困窮者が増えました。

 今の日本は少し前の裸の王様にもロバの耳と言えない人間が多過ぎです。だから何々問題とか問題視される事が多過ぎるのです。

 メタバースが叫ばれる傍らで、これからは人間性を取り戻して回復する時代にするしかない。

 

 政治は国民の声の反映に過ぎません。大体問題が深刻になってから声を上げるのが今までの日本人です。自分の政治的な意見のない大人が増えれば増えるほど、政治家たちの動きは遅いのは当たり前です。

 

良い年したおっさんがアイドルを追いかけるのは滑稽です。日本は海外に

「子供の大人が多い国と笑われてますよ。」

 

子供扱いされるから外交で足元見られて下手なのも頷けますが、親日反日という枠組みだけで考えずに、少なくても戦略的に時間をかけてアジアの各国に効果的な友好な関係を作っていく思想が必要です。特に平成になって何もしていない感が酷過ぎます。

 

まあ元レペゼンのDJ社長の取り組みはインドネシアの社会情勢が分からないので良し悪しが分からないですが、最終的にインドネシアにプラスをもたらせば意味はあるとは思います。乞食みたいな人間を作らず、これからの社会起業家などを中心に金を配れば受け入れられるかな?

 

「哲学のない国は滅びる」と言う人もいます。これが日本の社会に充満する退廃的な空気の本質でしょうね。日本は民主主義の国ですから、最初っから他人にして貰うことや期待することは、民主主義の本質ではないことです。

 

これからは、エビデンスを重視したり作っていったり、予防など未然に防ぐことに力点を入れるべきでしょう。

 

お笑いの肥満女子が増えて「痩せ過ぎの風潮は良くない!これからは肥満も多様性だからありだよね〜」って安易な風潮に流されて考えてはダメです。彼女らを責めるつもりはないですが、どう見ても体型的には病的で不健康です。笑ってる場合ではないです。

「肥満は糖尿病に繋がり万病の元です。」

医療費が増えているのに安易に医療を増える価値観にして税負担でみんな苦しみたいんですかね?

あまりにも日本人はMな人たちですね。健康的に痩せられる良心的なダイエット番組でも作って下さい。

 

戦後は日本の戦後と比べてアメリカの物質な豊かさ(戦争しても全然物質的に困ってないなど)やアメリカを超える経済力を求めていた訳ですが、これからは新しい豊かさや経済力を作っていきたいですね!!

 

日本の求める多様性が実効性の欠けているウソだったと思う日が来ることを期待して、これからも仕事頑張りますかね!!

 

 

 

 

 

 

障害者が、障害者スペースを使えない?!

馬鹿げた話であるようだが、実は障害者なのに、普通に障害者スペースが使えないという話がある。何故だろうか?

実は手帳を持った義足の方が、毎回スーパーの障害者スペースに停めていたのだが、障害者スペースが、思いやりスペースに変更されていた。つまり障害者とは、車椅子を乗っているべき人で、手帳があっても足が少し不自由に見える程度の人は、障害者ではないというクレームがあったと思われる。地元スーパー側が機転を利かせて、思いやりスペースとしたので丸くは収まったが、そういった配慮のない所では、同じ事が予想される。

簡単に出来る意識改革の一つ程度ではあるが、change.orgで呼びかけてみるべきだろうか?流石に一人では呼びかけられないので、社会活動に興味のある人が、どれ位いるか賛同者を待つとする。

 

バルブの時は否定的だったが、今はポティティブでありたい。

そもそもバブル時代から、バブルと言われていた。それがバブルが人為的なものだった理由。バブルの時代は、世間はバブルと関係なく、メディアの煽り方が半端無かったので、物凄く否定的に感じた。今の日本は総悲観なので、ポティティブでありたい。そして日本を再度、盛り上げたい。経済と幸福感を共に。バブルのような盛り上げ方ではなく、地に足をついた方法でいこう。

若年者女性の支援活動

年をとって個人的に感じるのは、若い女性が元気が無いと感じる事だ。肥満や病気を患っている若い女性が多く感じる。若い女性は、やはり炭鉱のカナリナなのだろうか?何か支援する形にしたい。その協力者が欲しい。

私の子供時代のイノベーション経験

それまでアニメ・漫画好きだった私が、小学校の図工の工作の時に、先生にモチーフが大事といわれ、それが凄く高尚なものを作ならければならないと感じた。好きだったアニメと漫画を封印し、部屋にあった図鑑の本を眺めていたら、柔道をしている写真が目に止まり、

子供心にそれを作る事にした。彫刻刀で彫っていたのだが、明らかに表情が細かく、顔を彫れないと気付いたので、顔の表情はシルエットにし、髪型もシンプルにした。ミスで彫っているうちに、一部が彫り過ぎてしまい、仕方なく全体をそれに合わせて作品を発表した。

出来上がった他の作品を見ると、自分の様な作品を作っているのは少数で、ミスして彫り過ぎた部分が、他作品より立体的に見え、優秀な作品として選ばれた。ただのミスと単に構図の上手い身近にある写真を、選んだだけであったが、今思うとこれが私の子供時代の、イノベーション的な経験ではないかと考えている。

わたしは、何を残しただろう〜「花が咲く」

NHKでよく流れていた「花が咲く」という歌が好きである。特に「〜わたしは何を残しただろう。」

という歌詞が考えさせられる。

最初は、強烈に団塊の世代に向けたメッセージと感じたが、我々は残りの人生何を残すべきだろうか?

貴方が残すものは(私が残すものは)、子供だろうか?お金だろうか?それとも見えない形(無形遺産)だろうか?

国民的幻失病

義足の方には、幻失病と言うのがある。これは足を失ったのに、今だに足があるという感覚が囚われてしまうという病だ。この話を聞いた時、日本の事ではないかと、ふと感じてしまった。高度成長期の成長エンジンを既にバブルの時代に失ったのに、今だそれがあると幻覚を信じている国民達。失われた20・30年とは国民的幻失病であった。その答えは、補装器具(義足)を作るしかないのである。ただの障害者と違うのは、作った補装器具が新しい世代では再生するという事。それが、ゲームを諦めるべきでは無い理由。そして、デービッド・アトキンソン氏が言う、徹底的な生産性の向上を狙うべきである。